「どうやって瞑想すればいいかのか、わからない・・・」
「瞑想をしていても、すぐに思考や感情に巻き込まれてしまう・・・」
「瞑想時に集中することができない・・・」
「瞑想時にくつろぐことができない・・・」
「瞑想時の気づきや明け渡しとは何なのかが、わからない・・・」
等々・・・
初めは誰もがそんな経験をするものです。
それでも、ご安心ください・・・
瞑想に限らず、何事におきましても、「学ぶ」こととは「まねぶ」こと、すなわち、初めは「真似をする」ことから始まります。
ですが、外的(肉体動作的)な行為をお手本にして学ぶことと比べますと、瞑想とは本質的に「(行為というよりは)自己としての内的な在り方に関わるもの」であるため、可視化できない上、言語による説明におきましても、聞き手の理解の許容量にも依存せざるを得ないがゆえに、その習得においてはとても難しく感じられるものであります。
それゆえの難しさでもあります。
そこで、瞑想のやり方につきましてを言葉を使って説明することも可能ではありますが、瞑想にもいくつもの種類や段階がございますし、理解の許容量の異なる全ての方々に合わせて誤解の生じないように説明しようとなりますと、何冊もの本がかけてしまうほどの膨大な文章となってしまいます。
それでは読む側も大変です。
そんな時の特効薬となるノーコンタクトセッション。
「百聞は一見にしかず」ということなのです。
禅宗における「不立文字」や「教外別伝」。
その基となったとされる、ブッダの「拈華微笑(ねんげ・みしょう)」。
ラマナ・マハルシによる「沈黙の教え」。
つまるところ、
本当に大切なことは、言葉では伝えることができないということです。
ですが、一人では瞑想をすることができない人でも、ノーコンタクト・セッション時に瞑想を行ってみれば、(個人差はございますが)短時間で瞑想を学ぶ(まねぶ)こと、すなわち言葉では伝えることができない大切なことを体得することも可能です。
自分だけで行う瞑想を子ども用プールでのチャポチャポ水遊びとするなら、(ノーコンタクトセッションでの)木幡様からの直接伝達時の瞑想はプロのインストラクターに誘われて意識の海に潜る実体験と言えましょう。
当然それは次元の違う体験です。
参加者の声/S. E. 様
また、回数を重ねるごとに、ノーコンタクトセッションの際に生じた瞑想時の意識状態やエネルギー状態などを永続化させることや日常生活の中に持ち込むことも可能となってきます。
ノーコンタクトセッションの本当の価値は、そこにあるとも言えます。
瞑想時において、思考や感情に巻き込まれないでいるためには、従来の「自己(あなた)と思考や感情とが同じ部屋に押し込められている状態」を解消しなければなりません。
つまり、自己(あなた)が思考や感情との距離を取るための内的なスペースを作り出さなければなりません。
そして、自己(あなた)が「思考や感情との距離を取るための居場所」に最も適したもの、それが「ヘッドセンター」なのであります。
「気づきの瞑想」や「高次の集中の瞑想」を体得しよう
「明け渡しの瞑想」や「高次のくつろぎの瞑想」を体得しよう