「透きとおった純粋な心」それが「本当のあなた」

セッションの感想(Oさん/スピリチュアル教師/40代/男性/探究歴:30年)

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スピリチュアル教師/40代/男性/探究歴:30年

探究歴も長く、現役のスピリチュアル教師でもあります。

私の直接伝達のこれまでのやり方としましては、真なる自己の目覚めの状態を最大限まで強化していくことに力を注いできました。

わかりやすく言うなら、これまでは派手な大技をかけてきたわけです。

ですが、この頃からその目覚めの強度よりも、継続的な目覚めとなるように導くことの大切さというものを感じるようになっていました。

ですから、この時のセッションは燦然(さんぜん)と輝く花を咲かせるようなことはやめて、あえてただその芽を出させるだけに留めました。

そしてそのささやかな芽に対する自覚を持っていただいて、自身の手で育てていただくことに決めました。

そのような目覚めにおきましては、花が咲くまでの時間はかかりますが、そのささやかな芽が見失われることはありません。

他の雑草と見間違うことがありません。

そのようなやり方の方が「目覚めが途切れにくいのではないか・・・」とセッション中に直感したからであります。

 

以下に記載しているものは、その第1回目のセッションを終えてから2週間が過ぎた頃に私に送られてきたメールによるご報告です。

セッション後、2週間を過ぎてもなお、真なる自己の目覚めが継続していることがはっきりと見てとれます。

つまり、2週間以上の目覚めの継続という一つの大きな山場を超えたわけです。

 

2018年7月16日/スカイプでのサイレンス・セッション90分/第1回目を終えて

木幡様

『言葉による伝達』の記事は非常に参考になっています。

 

今日、以前からの探究仲間である友人と話していましたが、私が変化したことも事前に感じ取っており、今日私と会ってそれが錯覚でなかったと言っていました。

 

その後、ある瞑想会があり、時間が空いていたので参加したのですが、形式的な瞑想ではやはり今までのような意識の変化やエネルギーの感じ方はありませんでした。

形式的な瞑想で感じられるものは、「聖なるものへの明け渡し」でのものより粗雑であることが、今までよりはっきりしました。

 

そして瞑想会が終わってから電車でくつろいでいる時の方が、聖なるものを感じられました。

形式的な瞑想では、普段よりかえって想念が出てきてしまいますが、くつろいで聖なるものを感じている時は、あまり想念が浮いてきません。

 

そのようなことからも、私の在り方や長年続けてきた瞑想との関わり方などが大きく変化してきました。

 

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