「透明で純粋な心」それが「本当のあなた」

「高次のハートの直接伝達 2020.08.02」:「参加者の声」と「コメントによる伝達」

この記事は2020.8.7、14:45更新いたしました。

更新内容

この記事下のコメント欄に、6名の参加者様から「ご感想のコメント」をいただきました。

「コメントによる伝達」を掲載いたしました。

コメント未記入の参加者様からのご感想もお待ちいたしております。

初参加の方々も「参加者の声」をお寄せください。

「高次のハートの直接伝達」に初めて参加される方へ

直接伝達時におきまして、特に初参加の時などは、緊張や気負いなどにより想念や感情に巻き込まれやすくなるため、自覚できるほどの大きな変化や効果を感じれない方もいらっしゃるようです。

ですが、それを二回、三回と続けていくうちに、緊張や気負いなどもなくなり慣れてきます。

 

また、初めは自覚できるほどの変化や効果は感じられなかったにしましても、その伝達はあなたの意識内に浸透していきます。

翌日の効果や変容のみならず、継続参加されることにより、やがては明らかに自覚できるほどの効果や変容が生じてくるはずです。

すぐ下の「参加者の声」をご参照ください。

 

「参加者の声」

 

コメント欄へのご感想コメントについて

高次のハートの直接伝達」において、直接伝達の受けとり方は、人によって様々であり、受け手の意識状態によって異なります。

 

そして、同じ1人の受け手におきましても、その日の身体やエネルギー的なコンディション等によって、毎回毎回、受けとった時の印象や感覚が変わってくることもあります。

 

また、たとえば私は毎回の「純粋意識の直接伝達」におきましては、くつろぎのエネルギー純粋意識の流入をベースに、その時々により、その他の様々な要素の比重を変化させております。

時にはヒーリングによる浄化の効果を強めたり、ハートの浄化や活性化における働きかけの要素を強めたり、引き込みへの働きかけを強めたり、などといったように・・・

 

ですから、その日の伝達において何を受けとったかということにおきまして、正しい答えはありません。

あなたが感じた率直なご意見をお聞かせください。

 

なお「参加者の声」としてお寄せいただいたコメントは、「お客様の声」やその他の記事などに転載させていただく場合がございます。

ご了承ください。

コメント欄へのご感想コメントの書き方について

【事務局より】

次回の高次のハートの直接伝達」をお受けになられてのご感想のコメントは、こちらの記事下のコメント欄にお願いいたします。

コメントは当事務局側からの承認制となっておりますので、お書きになられたコメントは、記事上にすぐに反映はされません。

 

コメント欄からのご質問につきましては受け付けておりませんので、木幡へのご質問がおありの方は、ダイアローグ・セッション特別セッション等での質疑応答のお時間にお尋(たず)ねくださいますよう、よろしくお願いいたします。

さらに理解を深めたいという方は、有料記事をお読みになられることをおすすめいたします。

 

なお、直接伝達による効果に直接由来しない体験等に関するコメントにおきましては、読者を混乱させてしまうことが予想されるため、こちらで該当箇所を削除させていただく場合がございます。

また、一般読者に伝わりにくい表現などにつきましては、こちらで修正させていただく場合がございます。

当然のことではございますが、当方や読者様方への常識的な礼儀やマナーを欠いたコメントは掲載いたしかねます。

ご了承ください。

 

コメントご記入の際は、

お名前を本名または大文字のイニシャル表記(姓のアルファベット. 半角スペース 名のアルファベット. / 例:木幡等 → K. H.)で、

また、誠にお手数ではございますが、木幡がコメント欄からの発言者のことを把握しやすくするためと共に、他の読者様のご参考になりますよう、

「年齢または年齢層」「性別」「お住いの都道府県等」「(ノーコンタクト・セッションにおいての)参加状態」の表記もお願いいたします。

(例1:K. H. / 5歳 / 男性 / 島根県 / 今月より初参加)

(例2:H. K. / 30代 / 女性 / ロサンゼルス / 2018年11月より連続参加)

表記がない場合は、こちらで記入させていただきます。

 

同業者の方のお名前の掲載は、自身の宣伝のためなどといった不純な動機でのコメントにより、読者を混乱させてしまうケースが起こり得るため、イニシャル表記に修正させていただく場合がございます。

なお、コメント記入時にご記入されたメールアドレスやURLは公開されませんので、ご安心ください。

 

伝達時間

○○:○○~○○:○○

 

 

木幡 等 Hitoshi Kowata のノーコンタクト・セッション

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コメント

    • F. R. / 40代 / 女性 / 神奈川県 / 2020年6月より連続参加
    • 2020年 8月 03日

    木幡先生

    「高次のハートの直接伝達」をありがとうございます。

    伝達の間、優しく暖かいエネルギーが肉体と精神のレベルから魂のレベルまでまるごと私を包むように感じると共に、私がそのエネルギーを包んでいるような感じでどちらが自分か分からないようでした。
    そのエネルギーに溶けていると、この世界に存在できているのが祝福されていることのように思えて、孤独や不安が消えていきました。
    そして、あまりの心地良さに熟睡してしまい、朝寝坊をするところでした(笑)

    エネルギーに包まれている時に何か深遠な答えのようなものがあったのですが、残念ながら朝には思い出せなくなってしまいました。
    思い出せなくても、蓄積されていつか全てにつながる時が来るといいのですが…。

    優しく暖かい伝達をありがとうございました。
    一緒に受けた皆様にも感謝です。

    また次回もよろしくお願い致します。

      • 木幡 等 Hitoshi Kowata
      • 2020年 8月 03日

      >伝達の間、優しく暖かいエネルギーが肉体と精神のレベルから魂のレベルまでまるごと私を包むように感じると共に、私がそのエネルギーを包んでいるような感じでどちらが自分か分からないようでした。

      とても良いことです。

      究極的には、そのエネルギーを感じているのがあなた(魂)ですが、現在の進化の過程におきましては、自身の意識内環境を「肉体・精神の次元」から「純粋意識の次元」や「魂の次元」へと拡大しながら移行している最中でありますので、「どちらが自分か分からない」感じで良いのです。
      言い換えるなら、「肉体・精神との自己同一化」から「純粋意識との自己同一化」または「魂への帰還」へと移行している最中なのですから。

      >そのエネルギーに溶けていると、この世界に存在できているのが祝福されていることのように思えて、孤独や不安が消えていきました。

      ですから、自ずと「そのエネルギーに溶けている」感覚で良いのです。
      しかし、大切なのは「自ずと」ですよ。
      「溶けようと意図してはいけません。」
      そのような作為を持つと、あなたは「『知性の次元』へと後戻りしてしまうことになる」のですから・・・

      >そして、あまりの心地良さに熟睡してしまい、朝寝坊をするところでした(笑)

      なので、現在のあなたにおきましては、「あまりの心地良さに熟睡してしまい、朝寝坊をするところでした(笑)」くらいで良いのです。

      それくらい「自然に作為が落ちていく」くらいが良いのです。
      ですから今のあなたは、そのまま「心や身体の要求にゆだねていてください」・・・

      >エネルギーに包まれている時に何か深遠な答えのようなものがあったのですが、残念ながら朝には思い出せなくなってしまいました。

      気にする必要は全くございません。
      そのようなことは、知性によって言語的に理解したところで、探求者にとってはあまり意味のないものだからです。
      様々なサマーディや境地、そのような様々な意識状態の検証という意味において、学者方にとっては意味のあることなのでしょうが・・・

      高次の意識状態への変容、およびその永続化を目指す、そのような意味においての真の探求者にとっては、意識状態の永続的な変容、すなわち境地の変容によって自明の事として自ずとわかってくれば良いのです。

    • O. Y. / 49才 / 女性 / 島根県 / 2020年8月より初参加
    • 2020年 8月 03日

    木幡先生

    「高次のハートの直接伝達」誠にありがとうございました。

    皆さまと共に参加できることが、とても嬉しく思っております。
    よろしくお願いいたします。

      • 木幡 等 Hitoshi Kowata
      • 2020年 8月 04日

      こちらこそ、よろしくお願いいたします。

    • O. S. / 50代 / 男性 / 神奈川県 / 2020年1月より連続参加
    • 2020年 8月 03日

    木幡さん

    高次のハートの直接伝達ありがとうございました。

    昨夜は開始前に座りながら臨んでおりました。
    すぐに引き込みが生じていたところに、意識状態ががらりと変わりました。
    身体的なエネルギーではなく、意識における次元が変わりました。

    ごくごく幼児期の感覚に残っていた充足感のような。
    そこから出たくなくて。

      • 木幡 等 Hitoshi Kowata
      • 2020年 8月 04日

      >そこから出たくなくて。

      「そこにいながらにして、この世界に参加する」そのような自然な在り方を身につけいくためには、やはり先日のダイアローグ・セッションの際にその方法などもお伝えいたしましたように、日常において、現在のその引き込みを加速化すべく、その引き込みの質を上げていくように工夫しなければなりません。
      もちろんそれを達成するための前提として、「堅固なヘッドセンター」や「意識内における純粋意識の充満」などが必要であることは言うまでもありませんが。

    • I. H. / 40代 / 男性 / 栃木県 / 2020年2月より連続参加
    • 2020年 8月 03日

    師匠

    伝達中は、内なる音がまるで蝉時雨のように鳴り響きました。

    それは、海のように深い愛、慈悲であると同時に、今回強く感じたのは、<深遠なる神秘の叡智>でした。

    私は畏敬の念を抱きました。

    高次において、愛とは、智慧でもあります。

    ・過去の聖人が、探求の最終段階において、
    バクティヨーガ(愛、帰依の道)と、ジニャーナヨガ(智識、智慧の道)、
    これらがが同じものになると言及していたり、

    ・また、阿弥陀三尊の阿弥陀如来の両脇侍が、
    観音菩薩(慈悲の象徴)と、勢至菩薩(智慧の象徴)
    であったりと、

    今までも、愛 と 智慧 とは、統合されるものであるという知的理解はありました。

    それを今回の伝達の中で初めて、直接(非言語的な理解で)、識った気がします。

    ありがとうございます。

    さて、思考者/行為者の私としては、日々の生活の中で、もっともっと「謙虚」になろうと決めました。
    というとあまりにもごく普通の意味に聞こえるのですが、
    ここでの「謙虚」の意味はごく当たり前の意味も含み、また聖なる意味での理解でした。

    来週もよろしくおねがいいたします。

      • 木幡 等 Hitoshi Kowata
      • 2020年 8月 04日

      >伝達中は、内なる音がまるで蝉時雨のように鳴り響きました。

      そう言われてみると、最近の私の内なる音は蝉時雨みたいな音です。
      もちろんその波動は高いので、とても優しく柔らかな響きではありますが。

      >高次において、愛とは、智慧でもあります。

      究極的にはそうだね。
      しかし「究極的には」だよ。

      だからニサルガダッタ・マハラジなんかは、「本当の知恵、すなわち悟りなしに本当の愛は生じない」、そのような文脈で語ります。

      一方、鈴木大拙さんは「大智から大悲へ」というような文脈で語られていたかと記憶しています。
      つまり「悟りから愛(同胞への救済も含む)へ」というようなロジックですね。

      しかし、これは何もお二人が矛盾していることを仰っておられるわけではないということでもあります。

      なぜなら、大拙さんがおっしゃる「大智から大悲へ」と至ったところに、マハラジの言う「悟りすなわち愛となる境地がある」ということです。

      それを彼らがどう解釈しているのかは、詳細な記述を読まなければわかりませんが、一般的に流布されている悟り、すなわち観照者としての悟りを「大智」としているのなら、「魂としての悟り」が「大悲」に相当するでしょう。
      しかし、私の体験からいたしましても、「魂としての悟り」を終えることを「大智」とし、そこから「同胞の救済のためにこの世に戻ってきて」から、そこで本当の意味での「大悲」というものが芽生えてくるのではないかと思っております。

      もちろん、ここでいうところの「大悲」とは、「誰かを助けたい!」「誰かを愛したい!」などといった自身の欲求として生じてくるものなどではなく、救済を求める悩める同胞と一つになって、彼らと一緒に(時には彼ら以上に)苦しんだり喜んだりすることによって育まれていくもののように思えます。

      「同胞からの救済への要求」、そのために全力を尽くす姿こそが、日本的霊性である「大悲」の真骨頂なのだと思います。

      そのような意味においての「大悲」、そこに日本的霊性の美しさがあるような気がするのです。

      つまり、私が本当に伝えたいものは「大悲としてのハート」であるということです。
      そして、それが私の行う直接伝達の神髄であるのです。

    • S. Y. / 50代 / 女性 / 東京都 / 2018年11月より連続参加
    • 2020年 8月 03日

    いつもお世話になっております。

    ここ数日、幸せが継続した中で受けた「高次のハートセンターの直接伝達」でした。

    伝達が始まると、すぐさま意識状態が変わりました。

    限りなく、どこまでも自由でした。

    美しく、格調高く。

    私は知らなかったけれど、きっと、これが愛なのでしょう。

    私たちは本当は、このように自由で優しくありました。

    そして、本当は、この美しく優しい何かが、私たちでした。

    この世で迷子になっている私に、深く染み込んでいくような伝達でした。

    先生と、皆様のおかげです。

    伝達を受けさせていただき、本当にありがとうございました。

      • 木幡 等 Hitoshi Kowata
      • 2020年 8月 04日

      >私は知らなかったけれど、きっと、これが愛なのでしょう。
      >私たちは本当は、このように自由で優しくありました。
      >そして、本当は、この美しく優しい何かが、私たちでした。

      「私は知らなかったけれど、きっと、これが愛なのではないか」と感じました。
      「私たちは本当は、このように自由で優しくあったのではないか」とも思いました。
      そして「本当は、この美しく優しい何かが、私たちなのではないか・・・」とも・・・

      これなら感想としてなら成立する。
      私からのコメントの余地もある(笑)
      しかし、あなたの書いた文章は違う。

      >私は知らなかったけれど、きっと、これが愛なのでしょう。
      >私たちは本当は、このように自由で優しくありました。
      >そして、本当は、この美しく優しい何かが、私たちでした。

      あなたは「自身の主観的な憶測にしか過ぎないもの」を「客観的事実」であるかのように言い切っている(結果的には、押し付けている)。
      まるで、コメントを書くあなたが先生で、コメントを読む私が生徒であるかのようだ(笑)
      ならば「(自身のブログでも開設して、どこかほかの場所で)あなたが教師となって教えなさい (^^♪」としか言えなくなってしまう(笑)
      なぜなら、ここの生徒様方も私も、「あなたからの教え(押し付け)」のようなものは全く必要としていないのだから・・・(このことは再度、「マナー」としても強調しておきます。)
      学校のクラスに、二人の先生がいて、それぞれが違ったことを教えていたら、生徒たちは「どっちが正しい教えなのか?」と混乱してしまうでしょう?

      さらに具体的に言うなら、「このように自由で優しく」とか「この美しく優しい何か」という言葉にしても、「どのような自由と優しさ」なのか「何についての美しさや優しさ」のことを語っているのかさえもわからない。

      ま、それは良いとしても、

      >私は知らなかったけれど、きっと、これが愛なのでしょう。
      >私たちは本当は、このように自由で優しくありました。
      >そして、本当は、この美しく優しい何かが、私たちでした。

      これは「事実か否かが検証されていない、ただのあなたの憶測」だ。
      そのような「ただの憶測にしか過ぎないもの」すなわち「主観的憶測」を「検証」せずして「客観的事実」のように言い切ってはいけない!

      あなたが「本当は1+1=3です」と言い切ったとしよう。
      しかし、それを数学的に証明できなければ、それはただの妄想でしかない。

      そのような数学的に証明できない数式、それは「間違い」という意味においての「嘘」になってしまう。
      それは今回のあなたのコメントにおいても同様だ。

      そのような「嘘」は、他人を騙(だま)すことにつながってくる。
      そして、そのような「嘘」は、当然のことながら、あなた自身にも「間違った理解」として跳ね返ってくる・・・

      「ただの主観的憶測(妄想)」を「客観的事実(現実)」のように語ること。
      これこそ、99.99・・・%の「スピリチュアル教師」すなわち「探求者兼自称スピリチュアル教師」のブログにありがちの典型的な表現なのだ・・・(笑)

      彼ら(彼女ら)は教師と名乗っていながら、実は「ただの主観的憶測(妄想)」と「客観的事実(現実)」の違いさえもわからない人たちばかりなのだ。
      境地やエネルギーが云々(うんぬん)の前に、その知性を鍛えなければならない人たちだ。
      (なので最近の私は、知性についての記事をも書いている。)

      彼ら(彼女ら)は「ただの主観的憶測(妄想)」と「客観的事実(現実)」の違いさえもわからない。
      だから、彼ら(彼女ら)の文章においては「ただの主観的憶測(妄想)」と「客観的事実(現実)」とが、同じ一つのお皿の上にざっくりと並べられてしまっている。
      当然、それなりに知性的な読み手は、「これは『探求者としての、ただの憶測』なのか? それとも『(その語り口からすると、高次の次元に精通しているつもりの)教師としての教え』のつもりなのか?」と突っ込みたくなる(笑)
      そういう人たちの表現を読むと、「君は探求者なのか、それともグル(霊的指導者)のつもりなのか、どっちなんだ? はっきりせ~!(笑)」と言いたくなるでしょ?

      だから、(適切な検証もせずして)わかったようなことを言っちゃいけない。
      もしも仮に、あなたが高次の次元についてのことを断言できるほど、高次の次元のことに精通している人ならば、「じゃあ、なぜ、まだ探求なんてしているんだい?」ということにもなるよね。
      わかっていないから、探求してんじゃないのかね・・・

      なのに、あのような書き方をしてしまうと、(あなたに、その気はなくとも)あなたは「デマカセだらけの偽グル(偽の霊的指導者)」の入り口にまっしぐらだ。

      だから実際のところは、偽グルになろうと思って偽グルになっている人など、ほとんどいない。
      つまり、スピリチュアル教師を自称するほぼ全ての人たちが、己では気づかずして「偽グル」、すなわち「呪われた探求者」になってしまっているのだ。

      彼ら(彼女ら)の道は困難だ。
      彼ら(彼女ら)は「探求」の前に、まずは「悟りという名の病」である、その「呪い」を解かなければならないからだ。
      それは、ある意味において「探求」よりも難しい。
      なぜなら、一人では、その「呪い」を解くことができないからだ。
      その理由は、「自身が呪いにかかっていること」にさえも、自分では気がつけないからだ。
      (このことについても、さんざんあなたに話して聞かせてきたはずだ。)

      だから「歌い過ぎ」には、気をつけなさい。
      特にあなたの場合は、気をつけ過ぎているくらいが丁度いい。

      今のあなたにとっての「歌うこと」は「心地良い発散」にもなっているのだ。
      カラオケボックスではしゃぐ若者たちのように・・・

      あえて私は、ここだけは厳しく言っておくよ。
      もちろん、感情的に怒っているわけではないが、知性的に叱ってはいるんだよ。

      何度も何度も何度も言うが「あなたは舞い上がると歌い過ぎるクセ」がある。

      これは、これまでの生徒(特に「探求歴の長い人」や「スピリチュアル教師を名乗っている人」)にもよくあったことであり、「少しわかったような気になった探求者」に、よくありがちな「落とし穴」なのだが・・・
      当然のことながら「落とし穴」に落ちていても気づきすらしない彼ら(彼女ら)は何もわかっちゃいない。

      「歌い過ぎる」ということは「不要な想念をまき散らす」ということだ。
      あなたの意識内に、そして周りの人たちに・・・

      それゆえ、そのような「カタルシス(抱え込んでいたエネルギーの排泄)のための歌」など誰も聴こうとはしない。

      そして何度も何度も何度も言うが、ここは「他愛ないオシャベリ」をするための掲示板ではないし、あなたのブログの場でもない。

      このコメント欄はある観点から見ると「遠隔で多人数を相手とした『目覚めや悟りの直接伝達』という壮大な実験の検証の場』でもあるのだ。

      だから、お店で出された料理の個人的な感想を書き込めば良いだけの「食べログのコメント欄」のようなつもりで書いてしまうと、あなたはこの実験の研究者の一員、すなわち主体性のある探求者として成長できなくなってしまう。

      だから「あなたの主観的な気分に基づく憶測(妄想)」と「客観的な観察に基づく事実(現実)」との違いを理解しようと努めてみなさい。
      それが、あなたの成長のためだからだ。

      先日の個人セッションの際にも、しつこいくらいに話して聞かせたはずだが、このような「独りよがりの思い込みに基づく(自称)スピリチュアル教師のようなコメント」ならば、書かない方がいい。
      それならば、『わからないことはわからないまま』にしておき、「ありがとうございました。」と書くだけの方が、まだましなのだ。

      コメント欄において、あなたが歌えば歌うほど、あなた自身が、自身のコメントによって「騙(だま)されてしまうこととなる」のだから・・・
      つまり、あなたが加害者であり被害者となっているのだ。
      それも「自己探求における呪いや落とし穴」の一つだ。

      そして、あなたの場合は「一つ一つの体験に、勝手な意味付けをしないこと」だね。
      むしろ逆に「毎回異なる体験の中から、その根底に潜む普遍的なもの(常在するもの)」を体得していかねばならない。

        • S. Y. / 50代 / 女性 / 東京都 / 2018年11月より連続参加
        • 2020年 8月 07日

        木幡先生、ありがとうございます。

        とてもとても丁寧に教えていただきました。
        鈍い私にも、先生は助けようとして仰っているのが伝わりました。

        探求における落とし穴に落ちている私を救い出せるのは、木幡先生だけです。

        ありがとうございます。
        色々と申し訳なく思っています。

        皆様、ありがとうございます。
        本当に申し訳ありません。

        先生と皆様に、心より感謝しております。
        ありがとうございます。

          • 木幡 等 Hitoshi Kowata
          • 2020年 8月 07日

          >鈍い私にも、先生は助けようとして仰っているのが伝わりました。

          当たり前じゃないか!(笑)
          それ以外に何がある!?(笑)

          そういう所が鈍いんだ・・・(笑)

    • I. D. / 40代 / 男性 / 宮崎県 / 2019年12月より連続参加
    • 2020年 8月 03日

    木幡等先生

    お世話になります。
    昨日も「高次のハートの直接伝達」をありがとうございました。

    唐突ですが、私たちの意識というものは往々にして外側に向かいがちかと思います。
    熟睡時はさておき、むしろそれが当たり前で、生まれ落ちた瞬間から肉体的には生存に危険が伴うわけですから、脆弱な生命体としての意識は外に外に向かうように自然となります。

    ただ、それをそれぞれの人生においてそのように在ることを自然なこととして、とくに疑問を抱かなくてもすむ人々もいれば、そうでない人々もおります。
    良くも悪くも深くかなりの疑問を抱いたタイプの私かなとは思うのですが、意識を内側に向けて、親切に先生に引きずっていただき、本来の逆説的にまっとうな意識のあるべき場所への示唆に従い、てくてく歩んで参りましたが、その場所すら無に帰するような、とんでもない未曾有の景色が見えました。

    なんだかこの世界のことが小さく感じられます、というよりかは、阿保らしくてもう悩むことができないくらい、わかり易く言えば、あたたかく慈愛に満ちた世界が私たちの意識の背景には、その背景の世界と密接なつながりを持っていることは忘却しつつも、実は広がっているんだと感じました。

    林檎をかじる以前の意識の居場所へこの世界に居ながらにして還る、そういうことなのかと思索なしに思索が起きたりしております。

    皆さまと共に、誠にありがとうございました。

      • 木幡 等 Hitoshi Kowata
      • 2020年 8月 04日

      「林檎をかじる以前の意識の居場所」を「意識の根源」とするなら、多くの人たちは瞑想や祈りなどといった、様々なスピリチュアル・ワークという多大な努力を通して最も内側である「意識の根源」に帰ろうとします。
      そのような企みのほとんどが失敗に終わりますが、それは自己探求や修行などとも呼ばれています。

      一方、最も内側である「意識の根源」と一つになっている覚者と呼ばれる人たちは、肉体次元における生活を維持するため、または同胞への救済などのために、それなりの努力によって外側に向かおうとします。

      このように、「想念の引力圏に住んでいる大衆」と「根源の引力圏に住んでいる覚者」とでは、努力の方向が真逆なのです。
      皆さんも、言葉を喋り始めた子供の頃は、同じように感じていたはずです。
      (まだ根源の引力圏にいる)赤ん坊が長らく起きていることができないのも、同じ理由だと思います。

      しかし、人は大人になると、外に飛び出すことは簡単です。
      それこそ、アホでもできる(笑)わけですから。

      しかし根源に帰るためには、いくつもの生にわたっての過酷な修行が必要でしょう。

      だから、「(私がサポートするので)早く帰ってきなさい・・・」と言っているわけです。

      正しい場所であるこちら側(根源の側)にいる方が、人生においても幸せになることが簡単なのです。

      さらに言いますと、先のマハラジや大拙さんの話ではありませんが、こちら側(根源の側)にいなければ、本当の意味での愛を知ることもできなければ、本当の意味で人とつながることさえもできないのです。

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